自分史を書いて運命振り返り

川柳が趣味だったおじいちゃんの句集を読み、祖父の歴史をたどるブログです。

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茶どころの宿が聞かせる茶摘み唄

茶どころの宿が聞かせる茶摘み唄

ちゃどころの
やどがきかせる
ちゃつみうた
道春

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茶摘みは、春の季語です。

 

「夏も近づく八十八や♪」と

 

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こちらのお父さんも歌ったりするのでしょうか。

 

 

 

この句に丁度よい写真はないか探しました。

 

モデルの女性も絵になります。

名前も存じませんが、このお父さんの写真も味があり、おつかれさまですと背中をトントンしたくなりました。

 

 

さて、立春から八十八日目を八十八やといいます。日付は、5月2日の頃。

 

夏も近づくとは、よく言ったもので、

 

夏の始まりとされる立夏、5月5日頃の3日前です。

 

霜が降りる危険が少なくなる頃として、種を蒔く目安とされてきました。田植えをされている農家は、とても忙しい時期。田んぼに水をはり、茶色だったところが一面ミドリへ変わり、植えおわる達成感は、また、違った喜びがあるでしょう。半化粧という、八十八やと同じ農作業の目安の暦を取り上げた記事も良かったら読んでください。

 

 

 

ohid.hatenablog.com

 

祖父母は、旅先でも、ひとんちの畑や田んぼを見て、「これはよく育っちょる。」「最近の稲は、背が低く改良されちょるのう。」と感心しながら旅するのだと、母が言っていました。

 

観光に来ていても、代々農家の血が通っているため、畑が気にかかるようです。

 

 

ohid.hatenablog.com

 

 

ohid.hatenablog.com

 

かなり、寄り道につきあっていただきましたが、この俳句にわたしは、旅先でくつろぐ祖父母が、リズムの良い唄に耳をかたむけている光景が思い浮びました。みなさんも緑の美しい時期を楽しんでいただけたら幸いです。

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 茶のうまさ夜更けてひとりちろり聞く

 ちゃのうまさ
よふけてひとり
ちろりきく
道春

 

茶が夏の季語です。以前も紹介しましたがおまけにつけました。

 

 

ここまでありがとうございます♪

一願の鐘ならび撞く彼岸寺 道春

一願の鐘ならび撞く彼岸寺 

いちがんの
かねならびつく
ひがんてら
道春

 

彼岸寺は仲春の季語です。

 

しかし、秋彼岸と付くと、秋の季語です。

 

彼岸とは、2回あるんですね。

 

春分の日と、秋分の日を中心に前後3日、トータル7日間を彼岸というそうです。月でいうと、3月と9月、お墓参りをする風習があります。

 

 

なぜかというと、日本独自の風習で、私たちのいる現世である此岸(しがん)に、先祖は彼岸という悟りの世界から、少し会いに来てくれるそうなんです。

そうして、先祖に感謝して、6日間で、六波羅蜜(ろくはらみつ)という、6つの徳をつむと、悟りの世界に近づくそうです。

 

かなり寄り道に付き合って頂きました。

 

彼岸会(ひがんえ)という仏事をするお寺を彼岸寺といい、春の季語になっています。

 

祖父のいう一つの願いとは、皆の健康、長寿、安全、いや先に逝った人の鎮魂もあったかもしれません。一つじゃないや、欲が深く、まだまだ、悟れないので、長生きしたいと思います。

 

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箒目の沈丁匂ふ茶会かな 節子

箒目の沈丁匂ふ茶会かな

ほうきめの
じんちょうにおう
ちゃかいかな
節子

 

沈丁花は春の季語です。

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ほうき目のついた庭が見えて、沈丁花が香るステキな席だったようです。

 

もう一つ。

春告げる匂いしずかに沈丁花

はるつげる
においしずかに
じんちょうげ
道春

祖父母の句を紹介しました。

追悼 橋田壽賀子さん

橋田壽賀子さんを追悼して

おしん総集編が放送されるそうです。

 

25日に総合テレビで、放送時間は午後1時50分から6時までの

 

4時間40分だそうです。

 

総集編は、おしんの成長にあわせて進んでいくそうですが

 

全297回の本編では、冒頭

 

「ここから私の人生が始まった」という場所を探しにいく老年期の主人公

 

乙羽信子さん演じるおしんが、上等そうな毛皮を着て登場します。

 

 

 

一言で、女性のサクセスストーリーとは言い難く

 

 

幼いおしんが貧しい小作の娘として苦労しているシーンは視聴者の胸をえぐるでしょう。

 

だからこそ、おしんのすさんだ心を救ってくれた

 

「あんちゃん」や「松じい」

 

読み書きそろばんを教えてくれた奉公先の

 

「加賀屋の大奥様」には人の温もりを感じます。

 

そして、おしんの自立を助けてくれる「髪結いの師匠さん」や、「ガッツ石松さん」、

 

魚屋になる手助けをする網元の「ひささん」、

 

奉公人の「源じい」視聴後、また会いたくなるでしょう。

 

おしんは生活するためやむを得ず何度も転職しますが、ほんとうに一生懸命働いて

 

こっちが見ていてもたおれそうですが、回りの人たちを動かしていくんです。

 

 

しかし、おしんの子供は思い通りに動いてくれません。

 

晩年はお金があっても、心配事は絶えないようです。

 

橋田寿賀子さんは、ホームドラマが得意と言われていましたが、

 

人と人の縁は、大切にしていればきってもきれないものだと教えてくれたように思います。

 

お母さん役の泉ピン子さんは一人で最後まで演じられ、子供であるおしんを見守っておられました。元気を出してほしいと思います。

 

ohid.hatenablog.com

自分史を書いて運命振り返り 道春

 

 祖父がこの川柳をつくったのは、この「おしん」に影響をうけたものと思われます。

 

いつか祖父のように自分史をかけたらよいなぁと思います。

 

 

 

 

永雨やひと日暮れゆく桜桃忌 節子

永雨やひと日暮れゆく桜桃忌

ながあめや

ひとひくれゆく

おうとうき

節子

桜桃忌とは太宰治の忌日。夏の季語です。

さくらんぼが登場する小説から名前をとったようです。

 

ohid.hatenablog.com

 

 

山神の棲む参道の柿若葉

山神の棲む参道の柿若葉

やまがみの

すむさんどうの

かきわかば

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若葉の美しさは、参道を通る祖父の目を引いたようです。黄緑色をした新しい葉っぱに、神々しいものを感じたのかもしれません。

 

わたしは、ちょっと衣をつけて、天ぷらにして塩で食べたら美味そうだなぁと思いました。

 

また、奈良に住んでいた妹を訪ねた時に食べた柿の葉寿司を思い出しました。

 

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感想その2 水原秋櫻子著「例解俳句作法辞典」 

しゅうおうしさんの本を紹介しております。

 

俳人でもあり、皇族に仕えるお医者さんでした。

 

その編集能力は、息子の春郎さんも認めるところだそうです。

 

そして初出は昭和25年の戦後間もない作品であり

 

現代にそぐわない題材の俳句もあるが

 

敢えて省かなかった。

 

面白いからとにかく読んでほしいという春郎さんのメッセージを読んだところでした。

 

 

俳句といえば、季語をいれなきゃですが、

詠みたいことをいかに季語と織り交ぜて詠むかといった

難しさ、その面白さに、秋櫻子さんは真摯に向き合っています。

 

もくじは、

人間の喜怒哀楽もった「こころ」を詠むにはどうするか

 

からはじまって、

 

家族、老いや若さにフォーカスを当てた「ひと」

 

ペンやライターといった「日用品」

 

衣食住、職、交通機関、趣味、病という項目に分かれています。

 

 

面白さはどういったところかといいますと、

例えば、「日用品」の燐寸(まっち)、「食」の釜、「住」の菜園、鶏舎、また、「交通機関」としての自動車の項

~作中より引用 

 

だと息子さんは語っておられます。

 

そうなんです、車が普及していない時代の俳句には

車に対する強い憧れが溢れています。

 

作句に対してはときに、厳しく、ときにユーモラスに解説されています。

答=秋櫻子さん

問=インタビューするヒト

答 まず題があってそれから材料を考えるのではなく、詠まずには居られぬ材料があって、そこから直接出発していくのです。(略)

答 題を出されて、自分の見もせず、経験もせぬことを詠む人も絶えないでしょうね。

問 それでは私も、もう題詠をする句会に出ることは止めます。(略)

答 それほどにすることもないのですよ。

 

作中より引用

「お友達との付き合いもあるでしょう。」とつづきます。

 

秋櫻子さんのとってもまじめな文章に笑わせてもらいました。

 

 

ohid.hatenablog.com

 

この本は祖父の本棚から拝借してきました。

祖父が、題によってできた句ばかりと恥ずかしがっていたのは、

この本を読んだからだと思います。