93重機
hanacoさん提供
コスモスや首を憩めしショベルカー
コスモスや
くびを
やすめし
ショベルカー
節子
(コスモス、秋の季語)
蒲公英の村を消しゆくブルの音
たんぽぽの
むらをけしゆく
ブルのおと
道春
(蒲公英、春の季語)
TokyoSunnyさん提供
コスモスは秋桜と書きます。蒲公英は思いっきり春。季節は違いますが、重機というテーマで並べてみました。
コスモスの生命力、たんぽぽの儚さを感じました。
このブログを一番読んでくださっているのは、母の友人、はてなブログのブロガーさんです。
本日もここまでお読み頂きありがとうございます。
父と母は、誤字脱字を校正する役です。
世に出てからですが、助かっています。
写真がいいでしょ?
photoACというサイトで、提供して頂きました。
92松尾芭蕉の旅その後
8.9月号のJAFメイトには、
『経年劣化と無縁の、日本の風景』と題して、
美しい最上川の写真と、
本の紹介
「子規の音」森まゆみ(新潮社)
という明治期の俳人、正岡子規を題材にした本の書評がありました。
この書評がまた、うつくしいです。
書かれたのは「八日目の蝉」を書かれた作家の角田光代(かくたみつよ)さん。
著者の森まゆみさんが、100年以上の時間差を越えて、子規に寄り添うように東北を旅する、紀行文に感動されていました。
句や歌というのは、目の前の「今」という瞬間を、季節や気候やにおいやもの音、すべてをひっくるめた光景を切り取り、真空パック状態で保存する。
真空パックとは、すごい。言い得て妙ですね。
旅をしたのは、東日本大震災のあとの2014年。2011年、JAFメイトで東北の記事を読んだ直後に、あの震災だったと記憶しています。
大変なことが起こったと思いました。
作中では、100年前と変わらず、時の止まった東北の風景が見られるそうです。
松尾芭蕉さんがどこに絡んでくるか、
その時代神格化されつつあった芭蕉の句を、評価しなかったのが正岡子規さんらしいのです。
おくの細道をする。
影響を与えたことには違いありません。
91なんまいだ?
「一枚だ、二枚だ、三枚だ〜」
そう歌いながらお堂の掃除して、お寺の関係者に怒られたやえさんを思い出します。1986年(昭和61年)、第36作連続テレビ小説「はね駒」の再放送もおわって久しいのですが、画面の中の樹木希林さんのコメディーなのかと思わせておいて、芯のあるシリアス演技は素晴らしかったです。
本日は、仏教用語の入った句を紹介します。
弥陀の目の届く参道石蕗咲けり
みだのめの
とどくさんどう
つはさけり
道春
(石蕗、冬の季語)
弥陀(みだ)は、阿弥陀の略です。
仏壇の御本尊は宗派によって違いますが
掛け軸タイプと仏像タイプあります。
お経の中で、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)というのは、南無は、サンスクリット語からきており、帰依すると解釈されるそうです。
阿弥陀如来を心の拠り所にしますという意味らしいですよ。極楽浄土に連れて行ってくださる有難い仏様です。もし、地獄に落ちたとしても、お地蔵様が、助けてくださるそうです。
冬の日に、阿弥陀如来を祀ったお寺の参道を足元を見ながら、ゆっくり足を運ぶ祖父を想像しました。
90松尾芭蕉の旅その3
祖父の川柳、俳句をもっと知りたいと、探求していたら、奥の細道にいきつきました。
字幕放送をまとめたサイトを見つけ、それよりかいつまんでみました。
松尾芭蕉は、江戸時代 、農家の次男だったため10代で武家奉公に出ました。
その武家とは、幕府老中の親戚すじにあたる藤堂家。その一族、良忠に出会い、芭蕉の運命もかわります。。
お世話をする中で、良忠の趣味の「俳諧」にのめり込んでいくからです。
良忠は蝉吟(せんぎん)という俳号でした。
後に詠まれた
閑かさや岩に染み入る蝉の声
芭蕉
この句は、蝉吟を思って作った句ではないか。
ということを一つ言われていました。
良忠が亡くなっても俳諧を続けた芭蕉は、奉公先を出て、日本橋に家をかまえ、句会を主宰する俳諧師になります。
また、神田上水の施工に携わり、明治に新しい水道ができるまでの300年間江戸の人々の喉を潤したとあります。
水道請負=政治とも精通していたのではないかということです。
その証拠に、奥の細道に同行した曽良は、幕府の要人として雇われるそうです。
行春や鳥啼魚の目に涙
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
この旅に出るときと、終わりに詠まれた俳句を並べて、芭蕉の変化をみるとき、
重いのをいかに軽く詠んでいくか。
古典へのオマージュ、漢文など難しいことを基礎としている部分もあった世界に、
すべてのものがながれていく、その中で必死に生きている。
そのことを瞬間瞬間捉えようと、俳句にこめたのが芭蕉なのではないか。
「軽み」は、テレビが最たるもので、
「高く悟りで、俗に帰れ」と芭蕉が言うように
固い古文書では世の中には広がっていかない。テレビがやっていかないと。。
しかし、軽みは誤解も生みやすい。という
最後はその加減のむずかしさを説いていました。
89松尾芭蕉の旅その2
私は、NHKの回し者ではありませんが最初に告知です。
松尾芭蕉さんの「おくの細道」への道という番組が放送されます。全行程、600里(約2600キロ)を150日間。
[BSプレミアム]
2020年10月7日(水) 午前8:00~午前9:00(60分)
俳諧を一流の文学に高めた“俳聖”松尾芭蕉。だが、実際の芭蕉は江戸で水道工事の請負人をつとめ、さまざまな職業や身分の人々と幅広く交流した俗人でもあった。そんな芭蕉の代表作が『奥の細道』。東北へと旅立った元禄2年は幕府と仙台藩が鋭く対立していた時期。歌枕を巡る他に何か目的があったのか?そして旅を通して芭蕉が到達した新しい俳諧の境地とは?“俳聖”以前の芭蕉に光をあてながら、謎に満ちた名作を徹底解剖!
番組ホームページより引用しました。
ここで、俳諧(はいかい)という言葉。 こっけい、おかしみ、たわむれという意味合いをもちます。
俳諧連歌(はいかいれんが)ともいい、最初の人が五・七・五でよんだ句に、次の人が七・七の句をつなげ、その次の人が五・七・五とつなげて作っていく連歌を、より庶民的にアレンジしたもの。
連歌は、古くからあり万葉集8巻の尼と大伴家持の歌が文献上はじめて出るそうです。
俳句と川柳のなりたち
連歌の最初の五・七・五を発句(ほっく)といい、最初の挨拶の句とも、お題とも言える部分には、季語を入れることが多く、約束事になりました。
この発句だけが独立して出来たものが、のちに、俳句と言われるそうで、起源は松尾芭蕉さんにつながります。
この俳諧を学ぶところで、先生が、五・七・五・七・七の「七・七」だけ作って、生徒が「五・七・五」を作る練習から、川柳が発展しました。名前の由来は、柄井川柳(からいせんりゅう)という句の選者が有名だったところから来ているそうです。
ここまで、お付き合いくださりありがとうございました。
今回も、学研教育出版発行の絵で見てわかるはじめての古典⑩おくのほそ道・俳句・川柳を参考にしました。