65じっちゃんの何にかけて
グランドファザコン⁉︎のブログ、にようこそ。
昔のドラマの再放送というのが流行っているそうですね。「じっちゃんの名にかけて!」と、堂本剛さん演じる金田一を見ていたのは1995年ですか。見てみたいです。祖父の名声に恥じぬような推理をしてみせるという名台詞でした。
私もじっちゃんの視点から、四季を感じとりたいなぁと思う今日このごろ。立夏も過ぎてしまいましたが、ちょっと待ったと春の句を紹介したいと思います。
茎立や袋の小銭数へをり
くくたち(又はくきたち)や
ふくろのこぜに
かぞえおり
道春
(春の季語、茎立ち)
茎が立つ、薹が立つ。はる、茎が伸び、花芽をつけるという目標に向かう植物。頑張りどころなのでしょう、養分が失われて、食用の野菜としては、忌み嫌われる現象で、根や葉の食味が失われます。
祖父の句では、それは嬉しいことなんだよと言っていると感じます。すいとられて、嬉しい、子どもの月謝を用意している親の様子を想像しました。
茎立やダンスの話はずみをり
くくだちや
だんすのはなし
はずみおり
節子
(春の季語、茎立ち)
恋の季節は、若いものだけじゃないようです。
茎立ちには、盛りがすぎるといった意味合いもありますが、年齢関係なくはつらつとしたものを感じました。
母の日、何もしていなくてごめんなさい。
ここで、懺悔します。