自分史を書いて運命振り返り

川柳が趣味だったおじいちゃんの句集を読み、祖父の歴史をたどるブログです。

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150目崎徳衛著 「芭蕉の内なる西行」を読んで その3

 

願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ

                    西行法師

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 山川草木すべてを愛したという

西行がこの歌さながらに、

花と月の下で往生を遂げたのは、

天性の詩人に与えられた天恵であろうと

筆者はその見事さを語ります。

 

ここでいう往生という意味は、

単に死ぬことだけではなく

現世を去って仏の浄土に生まれ変わり、めでたいという

仏教の思想によるところがあります。

 

筆者は 

絵巻物になった西行の人生を文章で説明されています。

 

出家を発心する場面からはじまりました。

西行には娘がおり

父の帰宅を喜び、すがりつく幼い女の子に対して

これこそ煩悩のきずなよと

縁側から蹴落す場面が描かれいるそうです。

 

 

そして能因法師を先達としての

廻国修行(かいこくしゅぎょう)

先に触れた往生の場面

この3つが、

伝説の西行法師像をゆるぎないものにしたとあります。

1190年鎌倉幕府を開いたころ、

73歳の生涯を閉じたとありますが、

歴史上の人物には色々脚色もあるようです。

 

 

松尾芭蕉は、一足飛びに西行をつかまえたのではなく

 

謡曲(能の詞章(ししょう、脚本のこと)や

「選集妙」という仏教説話集を媒介にしたのですが

 

西行自ら書いたものではないと明治の終わりに

判明しましたし、

西行は若いころ平清盛とともに鳥羽院に仕え、

源氏側の木曽義仲を嫌っていたことを

芭蕉は知らなかったのだろう。

 

このことを知っていたら

芭蕉の木曾殿好きはありえなかったはず・

それほど芭蕉にとって西行は心の師、

深い敬慕(けいぼ)を寄せていたのだから。

 

 

と筆者は、知らぬが仏と笑っていました。

ここまでお読みいただきありがとうございます。