感想 竹山道雄著「ビルマの竪琴」をよんで
ネタばれになって、面白さが半減してしまうおそれがあります。
ご注意ください。
著者の竹山道雄さんは1903年(明治36年)7月17日生まれ、大阪出身で、東京大学の教授でした。
ビルマ(現ミャンマー)に行った経験はありませんでしたが、自分の教え子や日本の若者が異国の地で戦死し、遺骨や遺品のないお葬式に出たことは1度ではないようです。
竪琴は、見た目は小さなハープのようなもので、それを手作りしてしまうほどこの本の主人公水島は器用でした。
もくじ
第1話 うたう部隊①~④
第2話 青いインコ①~⑩
第3話 僧の手紙①~⑧
1話
水島さんは、戦争中、元音楽の先生だった隊長率いる部隊におりました。
音楽の勉強はしたことのない人でしたが、器用で機転の利くところがあり、演奏係としてみんなに可愛がられていました。
「ほたるの光」「庭の千草(ちぐさ)」「はにゅうの宿」
この歌は、日本兵は自国の歌と思っていましたが、スコットランド民謡で、敵味方関係なく故郷を想う共通の歌として、水島の演奏に導かれるようにイギリス兵も口ずさむのでした。
戦況は悪化の一途で、日本兵は、連合軍に追い詰められて森林の中を北上します。
そしてついに、敗戦を知らされて、水島さんはイギリスの捕虜となったのですが、
抵抗する他の日本部隊の説得をすることを隊長から指示され自分の部隊と別れます。(のちに隊長は後悔することに)
2話
水島さんは知らせていた捕虜収容所には合流できず、皆が心配しました。
歌をうたうことをわすれた部隊の人たちは、
水島そっくりの僧侶を見ます。
そして、イギリス人相手に竪琴の流しで商売をする男の子が、
水島の弾き方そっくりに奏でるのを聴くと、元音楽の先生だった隊長は、水島が生きていることを確信します。
収容所からは、手紙が出せないので、インコに日本にいっしょにかえろうと話せるようにしこみます。
3話
そのインコは、収容所に出入りするおばあさんのおかげで、水島の手にわたるのですが、
返事の手紙とやっぱり帰れないとしゃべるインコが返ってくるのでした。
それは、異国の地で果てた人を弔うまでは日本に帰れないというものでした。
この本は小さな字で200ページほどあります。
漢字にはルビがふってあります。
わたしがなぜこの本を手にとったのかといいますと、
短髪にした自分の画像を送ると、父からビルマの竪琴の僧侶だといわれたからです。
映画化も2度されています。
きっかけはひょんなことでしたが、いい本でした。
旺文社からこどもたちへのメッセージ
りっぱな人、すぐれた人になるには、よい本を読むことがたいせつです。(抜粋)
という裏表紙にも、次の時代を担う子供への愛情があふれているように思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。