桃咲いて木立の奥に人住めり 節子
桃咲いて木立の奥に人住めり
ももさいて
こだちのおくに
ひとすめり
節子
この俳句を読み、桃源郷という言葉が思い浮びました。
桃源郷とは、陶淵明(とう えんめい)の「桃花源記」が出どころで、魂の奥に存在する場所、探すとかえって見つからない境地を、詩によって表現しているそうです。漁師さんが、桃の林の奥、川の水源の奥地で、不思議な処を見つけたお話しです。
また、陶淵明の讀山海經(山海経を読む)には次のような詩があります。
かんたんに紹介させて下さい。
草木が家の周りに生え茂った頃、
鳥もせっせと巣をつくり
それが楽しそう。
鳥のように自分もわが家が好き。
畑を耕し、家に帰ってからの読書も楽しい。
車も通らない。
春酒を酌み交わし庭のものを摘んで食べるのもいいし、東から雨が降るのも涼しくていい。
山海経を読んだり寝ながら絵を見るのも楽しい。
本当は漢文で、もっとくわしく書かれていました。
1600年前に作られた詩とは思えないほど、瑞々しく、そんな生活に近い父と母を羨ましく思います。
お酒を酌み交わし、庭のものを摘んでたべます。
土筆と、大根の乾物
夕飯は、
イカと大根の煮もの
菜の花と、つくしの卵とじ
炊き込みご飯だそうです。
耐火レンガで作られたイソライトかまど。
ご飯とお風呂は薪です。息子の目はほんとは星ではありません。
母方のおじいちゃんです。
母方の祖父母は自分の家を建てた経験があり、この写真はキウイの棚をやりかえています。
母方の祖母が息子の後ろで微笑んでいます。
今日は両家の合作でした。
祖母の俳句には、見えないものが見えているような視点を感じます。
古民家からの煙は、人が住んでいることがにじみでます。父の好きな光景です。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
写真ギャラリーその3
1番目と2番目の写真は2018年のもの。
3番目2011年
4番目2010年
段々と若くなっています。
1番上は、おじいちゃんと一緒に撮った最後の写真です。亡くなる3ヶ月、その時はお別れになるとは少しも思ってもいませんでした。
ここまでご覧頂きありがとうございます♪
枸杞の芽や干し物移す谿住居(仲春)道春
枸杞の芽や干し物移す谿住居
くこのめや
ほしものうつす
たにじゅうきょ
道春
枸杞の芽が仲春の季語です。
谿は、たにと読み、祖父の家も山の谷間にあります。
また、増改築をして母屋と別棟の屋根が交わり、窪んだ場所がある家を、谿住居とあらわしたのかもしれません。
洗濯物を光のさす時間に合わせて移動させる、勤勉な家主を想像しました。ここまでお読み頂きありがとうございます♪
打診待つ人へ燕の巣作れる(仲春)道春
つばめは、家の玄関やお店の軒下など人通りの多いところに巣をつくり天敵のカラスから身を守っています。
逆にいうと、つばめの巣をかける場所は、人通りが多いので、商売繁盛や、家の繁栄の印とされていました。
燕に関する言い伝えは様々あります。
巣つくれる家は、無病息災、燕の巣は縁起もの。
怖いもの代表、火事、オヤジですが、燕は野生の勘でそのような災いがない家を選ぶといいます。
「燕が低く飛ぶと雨が降る」
ということわざもあり
これは餌となる昆虫が湿気をおびて低く飛ぶからと、もっともらしく感じます。
打診待つ人へ燕の巣作れる
だしんまつ
ひとへつばめの
すつくれる
道春
ごはんまだかな〜て待ってるの♪おしゃべりしそうなつばめの子。
打診とは、相手に ことを伝えて様子をみることです。
祖父の句は、相手からの返答を待っていると、燕が巣をつくりにきた、吉報の予兆かと喜ぶ家主を想像させます。
なんのお返事だったのかわかりませんが、その人に春を運んできたようです。また燕に巣をつくらせる家は、汚れてしまうのも厭わない優しい人が住んでいるともいえます。
祖父は、燕の句を沢山つくっていました。俳句の中の生き物にも物語りを感じます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
桑摘みしことも遠き日蚕種(さんしゅ)の碑 (晩春)道春
日本の暦では、3月のことを弥生(やよい)という和風月名があります。
草木がますます生い茂ってゆくといういみです。
また3月は、蚕月(さんげつ)ともいわれ、養蚕がはじまる時期だそうです。
餌である桑の葉がよく採れ、暖かいころ春蚕、夏蚕、秋蚕と、晩秋蚕と年4回飼育します。5月から10月が最盛期のようです。ここから虫の嫌いな人はご注意ください。蚕種とは、蚕のたまごです。
桑摘みしことも遠き日蚕種の碑
くわつみし
こともとおきひ
さんしゅのひ
道春
下関市長府の忌宮神社(いみのみやじんじゃ)の境内に、蚕種渡来乃地という記念碑があります。
昭和8年養蚕業者により建立された石碑には、14代仲哀(ちゅうあい)天皇がこちらに滞在中、秦の始皇11世の子孫 功満王(こまおう)が蚕種を献上したのが養蚕のはじまりと記されています。
蚕を飼った経験がなければこの句は出来ないのではないか‥
詳細はもうおじいちゃんに聞けないのですが、海を渡り伝えられたこの歴史に想いを馳せた日がありました。
桑の芽や仰ぐ渡来碑大文字に
くわのめや
あおぐとらいひ
おおもじに
道春
3月28日、石碑のまえでは蚕種祭が催され、蚕の繭を模した茶菓子がふるまわれます。
石碑の隣には、桑の木が生えています。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
つばめ来て宿場に残る牢屋塀(仲春)道春
つばめ来て宿場に残る牢屋塀
つばめきて
しゅくばにのこる
ろうやべい
道春
牢残る踏み絵の島に怒涛寄す
ろうのこる
ふみえのしまに
どとうよす
道春
豊臣秀吉は、バテレン追放令を出しましたし、江戸時代、鎖国とともにキリスト教を禁止し、正月の行事として、イエス・キリストや聖母マリアの絵踏みをし、拒んだものは、牢に入れられ改宗を迫られました。
明治6年1873年までの長い間キリスト教の禁止が続きました。
そうした歴史を秘めて、つばめや波が打ち寄せる日常が流れている風景が浮かびます。
島はおそらく、長崎の五島列島ではないかと思います。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、ユネスコ世界文化遺産に登録されているそうです。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
蛇穴を出て発祥の維新の碑
蛇穴を出て発祥の維新の碑
へびあなを
でてはっしょうの
いしんのひ
道春
蛇穴を出るは、啓蟄のひとつです。この時ばかりは、嫌われがちな蛇も春を象徴する喜びごとに詠まれるそうです。
啓蟄、拝啓によく似た字ですね。間違えやすいので、解説しましょう。
拝啓と手紙の冒頭に書く意味は、「謹んで申し上げます」というあいさつの意です。
拝は おじぎ、
啓は 戸を開放する、
その道に明るい人が、知識を教える、申し上げるという意味もあるそうです。
より道しました。もどりましょう。
蟄は、土の中にすごもる虫の意なので、
あわせて
すごもりむし、戸を開くとなります。
祖父の句は、明治の新しい時代が開かれたように、啓蟄に新しい春を重ねて喜んでいるようです。
一年を24の節で区切る二四節気の3番目になっている啓蟄は3月5日あたりです。
出てくればまた、かくれる日も。
対になっているのは閉蟄(へいちつ)。
虫かくれて戸をふさぐ頃は、二四節気になく雑節にあります。10月頃だそうです。
閉蟄の一つ蛇穴を入る(へびあなをいる)は秋の季語にありました。二四節気と俳句は深くつながっていますね。
ここまでお読み頂きありがとうございました♪
維新の碑は何処でしょう、宿題にさせてください。
バナナ一本食べられない息子の食べ残しを喜びました。皮を食べようとしたので違うよと言うとこの顔をしました。