124芭蕉の内なる西行を読んでその2 百人一首
著者は、ほめているのでしょうか。
たくみに権門にとり入り、あくなき収奪(しゅうだつ)で富を積む受領タイプと、
ゆたかな才能をもちながら世渡り下手な文人タイプと、
同じ中・下級官人層の中にも対照的な両タイプが生まれた。 そして、百人一首の官人作者は、気の毒なことに、おしなべて後者に属するのである。 引用-目崎徳衛著「芭蕉の内なる西行」 []
目崎徳衛著の本には、西行について深い考察がつまっています。
「ここにも西行いるよ。」
ということで、時は鎌倉、百人一首の時代にまで
さかのぼってきました。
選者の藤原定家の好きな歌(恋の歌や秋の歌)へのかたよりは
否めずども、選ばれた百人に異論はないと著者も納得の様子です。
百首の歌の出典は、「古今和歌集」24首を筆頭に、11冊和歌集をあげ
作者の身分は、天皇8人、親王1人、内親王1人、官人58人、僧侶13人、女性19人。
著者は、天智天皇の歌には、王朝の美を、
先に触れた官僚には、退位、失脚を余儀なくされた政治へのうらみ そして 清少納言らの才女につづく、遁世(とんせ)歌人には 冷えさびた美意識があるといいます。
そして、王朝の落日がみえる終盤、百人一首の最後に付け足された後鳥羽院の歌にあらわれる憤りは 承久の乱をひき起こし、結果は皆さんご存じのとおりと書かれています。
敗れて隠岐に流されてしまったことは、敢えて口に出しませんでした。
著者は、中世のはじめに結晶した百人一首を 王朝文化の歴史そのものと評価しています。
ちょっと、むずかしい本でした。
人生がうまくいかないときほど、筆がすすむということでしょうか。それもイヤです。
実朝さんは、季語にもなっていることを、以前書いたよしみで、
「鎌倉右大臣として源実朝さんも百人一首にいるよ。」 と私は最後に付け加えたいと思います。
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