寄り道 飯田龍太著 「鑑賞歳時記 冬」その2
ある年齢にならぬと生まれない句がある。
それと同時に
詩人の心の中には、どんなに老いても、少年が住み、少女が生きているものだ。(作中より引用)
どういうことでしょうか。
今回は
この部分に赤いアンダーラインを入れている
祖父母愛読の書へ寄り道をしたいと思います。
春夏秋冬4冊のシリーズもの。
人生を春夏秋冬におきかえ
冬の1冊は、時に老いにフォーカスしています。
母老いぬ光の中の石蕗の花 山田静枝さん
石蕗の花(冬の季語)
わが母者は老いられた。やむなき天の定めとは思うが、あの石蕗の花のようにせめてこのひと冬は、元気でいてほしい。そう思うと、自分がまだ幼く、母が若々しかった遠い日のことが、まざまざと瞼に浮ぶ。(作中より引用)
といった俳句には、じぶんの幼き日を懐古しつつ
作り手の年輪まで推察、
ある年齢にならないと生まれない句だとしているあたり
その人の人生まで見通しているようです。
いい俳句というものは、読者に多くの思いを与え、さまざまの感慨をいだかせながらも、結局は無言を強いるものである。(作中より引用)
として、
有名な俳人だからいい俳句をつくるわけではなく、
だれしも第1級の俳句をうむ可能性があると
応援してくれています。
実作のヒントとしては
俳人は、記憶力が良くないといけない。
自分が1週間で忘れる句を、読者に大事に記憶してもらおうとするのは
虫がよすぎる。
しかし、記憶力の欠如は悲観することではなく、
「泥を流すのに目の粗い笊(ざる)のほうがいい。」
といった自作の厳しい反省の弁がありました。
コラムをつなげて、かなり読みづらいところがあったと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回はこのシリーズ春をご紹介できたら、幸いです。