自分史を書いて運命振り返り

川柳が趣味だったおじいちゃんの句集を読み、祖父の歴史をたどるブログです。

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建立の歌碑の一首や豆の花(春)道春

建立の歌碑の一首や豆の花

こんりゅうの

かひのいっしゅや

まめのはな

道春

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歌碑の一首に豆の花がうたわれていたというだけかもしれませんが、

歳月を越えてそこにある趣きを感じます。

 

何処かに今もあるのでしょう。

 

祖父に何処か聞きたくなります。意外と一緒に出掛けて、遊んでいる隣りでつくっていたかもしれません。祖父は胸ポケットに紙と鉛筆を入れて出掛けていました。

 

 

 

「川もきれいだなぁ〜山もきれいだなぁ〜」

 

むかしドライブ中、運転席の父や助手席の母から、「一句詠みますは?」とふられて、妹がそうやってよくうたっていたことを思い出します。

 

面白がって何回もやらせたら、やらなくなりました。ごめんなさい。

祖父から知らず知らず影響を受けていました。

 

現在、それぞれ別の場所に住んでいますが、大体同時に花粉にやられて家族だと感じます。

 

先日ハテナブログを息子が私に代わって書き、ブログ村のランキングが、おかげ様であがりました。ありがとうございました。喜んでいます。

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久しぶりのうさぴょん☆元気にしています。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

初蝶や武蔵運びし潮寄せ来(春)道春

初蝶や武蔵運びし潮寄せ来

はつちょうや

むさしはこびし

しおよせき

道春 

武蔵国(むさしのくに)という地名は、現在の東京都、一部の埼玉、一部の神奈川を含む領域に相当するそうですが、潮が運ぶというのは合点いきません。もしかしたら、武蔵国から名前をとった軍艦「武蔵」のことかもしれません。軍艦の名前には、旧国名をつけることが多く、戦艦「長門」以外は、終戦時、航行できる戦艦はなかったといいます。終戦後も、祖父は海にしずんだ船のことを考えていたんですね。

 

荒壁に張り付く蝶の深眠る

あらかべに

はりつくちょうの

ふかねむる

道春

 

張り付くというと蛾(が)のような不気味な雰囲気が漂っていますが、深く眠って起きてこないところをみると、可哀想な気もします。

 

春の音運ぶボンベの触れ合える

 はるのおと

はこぶぼんべの

ふれあえる

道春

 祖父の自信作で、赤い〇がついていました。

ガス管が通っていない田舎では、空になるガスのボンベをころころ転がして取り替えてもらいます。私もよく転がっていかないように、運べるもんだと作業員さんを見ていますが、祖父も見ていたのではないでしょうか。

初蝶や一族寄れる公卿墓

はつちょうや

いちぞくよれる

くぎょうはか

道春 

 

もとは、天皇、または朝廷を公家(こうけ・おおやけ)と指していましたが、

鎌倉時代以降、武力で天皇に仕える武家に対する言葉として、ほかの宮廷貴族を公家(くげ)と呼ぶようになったとあります。さらに公家の中でも、位の高い役職を公卿(くぎょう)と呼び、中国王朝の行政にならったそうです。太政官制という太政官が一番偉い制度は1885年内閣制度が発足するまで続き、世襲のつづく血の濃ゆい世界を感じました。

 

息子が書いた日常

こんにちは、よしえの息子です。

お母さんにブログ書いてみてと言われて書いていますw

僕は、俳句のことを書くことができないのでいつもの日常を書きたいと思います。僕視点で書きます。

平日はまず朝、僕は学校めんどくさいなと思いながらも学校に行き、帰ったら、ゲームをする為、宿題をします!

そして、ゲームをしている間お母さんは、料理をしています。まあ、僕は好き嫌いが激しいので食べる物と食べない物もありますけどw

(絶対、投稿したらちゃんと食べなさいって言われるな)

そのあともお母さんは、皿洗いとか色々やってるけど、僕はお風呂に入り、歯磨きをして寝ます😴

休日は、弟の世話をしたりするけど、お出かけをします。お父さんが車を運転をします、実はお母さんは、運転が苦手です。

お出かけから帰ってきたらすぐに、ゲームをやったり休んだりしています。

ちょっと年下の弟は工作が好きで休日、たまに何か作りますこれが作品の一つです。f:id:ohid:20210313193850j:image

僕が川柳で受賞した句があるので、紹介します

スマホより 前を確認 気をつけて ひ孫

(自分は出来てないけどw)

ここまで読んで頂きありがとうございます😊

482文字でした。

お付き合いくださってありがとうございました。

正解さがしからの卒業

今週のお題「〇〇からの卒業」

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私の国語の自信は

読書感想文で賞をとった経験からです。

 

 

「河野、このままだったら佳作はとれる。でも、先生と一緒にもっと上を目指さないか?」と言われ、一生懸命書き直して、参加賞でした。

 

今となってはよい思い出ですが、自信はないですね。

 

 このブログのタイトル「自分史を書いて運命振り返り」は、祖父のよんだ川柳の一つです。その言葉の通り祖父は、自分の歴史を題材に川柳や俳句を書き残し、平成31年11月に亡くなりました。

 

私は生前の祖父の作品集「狭の朝」を形見になってからはじめて真剣に読みました。

 

漢字や俳句と川柳の違いがいまいちわからない素人の孫ですけれども、春夏秋冬を感じる祖父の句をよみ、ここで紹介することが楽しい作業となっております。

 

祖父は、愛媛県宇和島で農家の次男として生まれ、酒屋の丁稚奉公にでます。

 

戦時中は、通信兵として働きましたが、詳しいことは話したくないようでした。

 

昭和二十二年、げんさんという人のおかげで、愛媛県を出まして、下関の神戸製鋼に入社、定年まで勤めました。俳句が趣味になったきっかけは、この職場のクラブ活動だったようです。

 

家族のことや、自分の家が谷間にあること、下関や九州の史跡を題材にしています。

 

なぜ生きているうちに読み方を聞かなかっだのだろうと後悔があります。また、自分一人では自信がありませんし間違っているかもしれません。

 

でも、言い訳は、今日からやめようと思います。参加賞目指してがんばります。

どうかあたたかい目でよろしくお願いします。

とプロフィールwかきました。 

 

 ブログのタイトルについて書いた記事です。

おしんを見てつくった川柳のようです。

ohid.hatenablog.com

ここまでお読みいただきありがとうございます。

祖父は、好きに読んで欲しいというはずなので、気軽に楽しんでいってください。

 

 

 

 

 

藤房の奥に覗ける石ほとけ 節子

藤房の奥に覗ける石ほとけ

ふじふさの
おくにのぞける
いしぼとけ
節子

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祖母は、おくの細道ではありませんが、物ごとの奥に何があるかを見ようとしている気がします。

 

 

ここからは祖母の日記です。

 

 

お父さんは近頃少々具合が進んだようだ。

くすりも2年間位で効力が無くなると何かに出ていた。

 

近頃だんだん悪くなるようだ。

 

大事にしてあげようと思う。

 

節子も頭が近頃重くだる〜い。

 

なんとしてもお父さんを守り、家族も守りたい。

 

節子もう少し頑張ろう。

 

すぐ忘れるお父さん。

 

節子も忘れることでしょう。仕方ないが淋しい、悲しい。

 

皆でしっかりお父さんを守りましょう。

平成28年1月30日

 

 

とても不思議なことです。27年12月に高齢者施設に祖父母同時に入居しました。

 

おばあちゃん、施設からわざわざタクシーを使って自宅に保存しに来たということです。

 

中々歩けないのにどうして。

 

無理して帰らなければ、私が手にすることはなかったでしょう。

 

俳句も平成27年2月で辞めたと書かれています。

 

 

 

一生は早いもの。あと何年で空にゆくか。早世の弟達の後をおう。主人のため家族のため、守り残る世をお父さんと共に走ろう。

23年3月1日節子

 

おばあちゃんは有言実行の人です。自分を鼓舞する様に、時に私達に語りかけるように、おじいちゃんのことを守ろうとしていました。「おばあちゃんは やりきっちゃったんやね。」と母は話していました。きっと後悔したくなかったんだと思います。女の意地を見せてもらいました。

 

 

 

 

 

境内の倭船にあそぶ木の芽風(三春)道春

境内の倭船にあそぶ木の芽風

けいだいの

わせんにあそぶ

このめかぜ

道春

 

木の芽風が三春の季語です。

七福神の乗った舟が穏やかな春の香りを運んでくるようなよい風景を思い浮かべました。

 

また、タケノコに、山椒の芽を和えたものなど、春の香りがする料理を食べたくなります。

 

先日筍を収穫する様子を紹介したので、

竹に関する写真を並べます。

 

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竹を切り出し、そうめんを流したり
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いかだや
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水鉄砲をつくりました。作ったのは父です。
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しめっぽい話をさせてください。

 

父と母は、2012年に亡くなった妹のことを思い出し悲しみに暮れる日もありました。

 

たまたまサイクリングで訪れた地が気に入り、ここに住みたいという母の為に、父は空き家を見つけてくれました。

 

 

古民家で過ごすはじめての夏

 

父は、「林間学校みたいだろう?」

 

と水鉄砲を作り、まご相手に本気で遊んでくれました。

 

 

「久しぶりにおとうさんの笑顔を見た。」

と母も喜びました。

 

今は、妹と過ごした時間があったことを穏やかに思い出して、私も泣きます。結局泣くんかい。

 

今年は、東日本大震災から10年。

被災された方が、「やっとここまできました。」と、10年の歳月を乗り越えられているのに、勇気をもらいました。

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ここまでお読み頂きありがとうございます。