自分史を書いて運命振り返り

川柳が趣味だったおじいちゃんの句集を読み、祖父の歴史をたどるブログです。

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感想その1「例解俳句作法辞典」水原秋桜子著

水原秋桜子は、しゅうおうしと読むんですね。

 

1892年に生まれ、1981年7月17日に亡くなられた俳人です。

本名は水原豊(ゆたか)さん、男性でした。

 

この本は、著者の死後、1990年創拓社から出ています。

 

原本は戦後間もない昭和二十五年九月だと、著者の長男にあたる水原春郎さんがあとがきにかえて書かれています。

 

とにかくよんでみてください。と。

 

題名通り、辞典として使うもよし、

 

また、戦後の苦しい生活を詠んだものには、高齢者は共鳴する部分があるでしょうし、

 

若者にとっては、戦後のモノがない時代があって今日があることに思いを馳せることが出来るでしょうと春郎さんは解説されていました。

 

490ページあります♪

全部読めていませんが、本当に面白いです。

 

つづく

 

 

小倉智昭さんお疲れ様でした。

春休みは休むといいつつ、ちょくちょく書いています。

本日月曜日は、フジテレビ、朝の情報番組『とくダネ!』終了後、後続の『めざまし8』という番組がはじまりました。

 

 

谷原さん司会で、春風のように爽やかな番組でしたね。

 

小倉さんのアクのある司会は聞けないのかと、もう戻れない時の流れに、涙ナミダでした。

22年間お疲れさまでしたと、その時の厚みはここでは書ききれませんね。小倉さんの妻さゆりさんの、手紙の言葉を借りれば、政治、経済、医療、音楽、スポーツ、芸能全てに通じるための努力はそばから見ていても並大抵ではなかったそうです。

 

オープニングトークをブログにアップしたものを拝見したことがあります。経験された方には分かって頂けると思いますが、毎日ブログをアップするのは凄く大変ですし、何か事件が起これば用意していたモノが流れてしまう日もあったでしょう。

 

オープニングトークが長引き、他のコーナーの尺が短くなるハプニングもまわりからは受け入れられ、私も同じ時代を生きることが出来たことに感謝しつつ、はてなブログを閉じたいと思います。

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あまたつ!が天達さんと呼ばれるようになって、喜んでらっしゃるような気がします!

大橋巨泉さんも22年のロングランを喜んでいるんじゃないでしょうか。

冬の句

療養の窓へ月置く冬木かな

とり囲む冬木病舎を静めゆく

此々からは一の滝へと落葉ふむ

枯萩に立てば遥かに海のあり

修業堂よりの木魚や冬の雨

庭に来し鳥も寄り添ひ今朝の冬

絵師一と人冬の土塀に向かひをり

冬空へ吊る鉄骨や河工事

滝音のお堂を包む冬木立

鳥立ちて枯れ蓮に黙戻りけり

風花を残して棺行きにけり

冬めくや狭に(谷に牙)す大工音

昼灯す狭を走れる冬の雷

弥陀の眼の届く参道冬日

山深き和紙の里なる神楽かな

酛唄のこもる高窓寒造り

天窓に星の張り付く寒造り

托鉢の声一列に冬の梅

寒梅や護摩木の筆の墨匂ふ(石鎚神社

寒晴や護摩火の豆の煎り上がり

日脚伸ぶ棚の医学書増えにけり

寒造り灯す一と間の杜氏部屋

石仏の貌それぞれに笹鳴けり

不揃いの葉牡丹山の陽を抱き

枯れるる中奉られて道祖神

短日の桝に盛り売る干し魚

極月の店先占めて研ぎしかな

日短かし鐘を鳴らして当りくじ

地に触れて毘沙門天の寒椿  

日脚伸ぶ山師一人のチェーンソウ

乱れ干す魚網乾きて冬ぬくし

蛸一つ乾く市場に師走くる

冬鵙や漁師夫妻の多弁なる

牛糶(う)りて農業祭の小春かな

束の間の冬陽まぶしく点滴す

服薬で始まる一と日師走くる

落葉掃く和尚のかむる目出し帽

お守りも添へて寒中見舞ひけり

逢えばまたときめき話し春隣

三階の雪うつくしく申告す

文読める羅漢もありて冬ぬくし

駄菓子屋のひょっとこ面に聖夜来る

 

 

 

 

 

あついなぁぼうしもっててよかったなぁ

僕はよしえの息子です。

その前書いたお兄ちゃんの弟です。

僕も川柳を発表します。

 

あついなぁぼうしもっててよかったなぁ。

 

ケータイから入力しました。

少し手伝いましたが息子の書いた96文字です。

 

上の句は、熱中症予防の意識を高めるため、帽子というお題が学校から出て、当時一年生の息子がつくりました。

 

先生に「帽子もっててよかったよ」に勝手に変更されたとブーブー言っていましたが、そのおかげで、入選し賞状をもらうとコロッと満足していました。

主人が賞状は額縁に入れないといけないと買ったのを覚えています。

 

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うさぴょんの為に草のある河川敷に通っています。最近日差しが強いと感じます。

苦労して草を採っても、かなり早食いで、あっという間に食べてしまいます。

写真では伝わらないですが、サクサクと音を立てて、牛のように反芻はしませんね。

 

息子ら帽子をかぶり小学校に行くのも、あと数日です。春休みに入るため、ブログをしばらく、お休みします。

ここまでお読み頂きありがとうございました♪

春雪(三春)

新婚の旅の写真の一枚は春雪白き阿蘇を背にして

 

〜妹 旅先より写真を送ってくる

              道春

 

 

 

五七五七七なので、短歌です。

俳句は、江戸時代に生きた松尾芭蕉が生みの親だと言われていますが、短歌は古くから読まれていたようで、古い歌をもとにして作られた句を本歌取りといい、古い歌をまず知らないとできませんね。

 

また、古い歌に詠まれた名所や史跡を歌枕と呼び、何処にあるかというよりも、どう詠まれた土地なのかというイメージが大事にされたんだとか。

 

祖父の作品に似た歌を探しましたが、見つかりませんでした。こけましたか?すみません。

 

春の雪の白さと、新婚の初々しい夫婦を連想させる良い歌だと思いました。幸せなハネムーンの時期を懐古しました。

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風光る七盛塚に巫女の笛(三春)道春

祖父の平家に関する句を集めました。

 

風光る七盛塚に巫女の笛

かぜひかる
ななもりつかに
みこのふえ
道春

赤間神宮の境内奥に、七盛塚と呼ばれる墓所があります。平氏の盛がつく方七人が眠っているそうです。墓所にも明るい春の光や音が響いたようです。

 

 

 

 

 

源平合戦、最後の戦いの地は、下関市の壇ノ浦です。

安徳天皇を水天大神として祀った赤間神宮はパワースポットになっています。

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安徳天皇とは、清盛が最盛期の頃、娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、徳子と高倉天皇の間に授かった子供のことです。

 

数え年の八歳で亡くなり、もっとも短命な天皇とあります。

 

赤間神宮は、竜宮城とも言われ、安徳天皇が「海の中にも都があります。」と言われ入水した言われを汲んでいます。

 

八文字踏んで平家も遠い過去
平家村見えて棚田の稲の花(初秋)
隠れ里遠くカンナの海を置く
 道春

福岡県糸島市に、平家落人の里・唐原という集落があります。平家の娘さんが隠れ住んだ伝説があり、ここも祖父の句に一致しそうです。源氏から追い詰められ、落人となった平家が潜伏した村は、全国にあるそうで、平家の技術が伝えられたそうです?

 

ここまでお読み頂きありがとうございます。