⑧自分史を書いて運命振り返り~就職
読んで頂きありがとうございます。この人と出逢えたから今があると、思い出すことはありますか。
祖父にとって、田舎から出るきっかけを作った人、その名もゲンさん。すみません、名字なのか名前なのか、年齢は幾つなのか?、もっと真剣に聞いていれば良かったのですが、祖父は昔話をする度にゲンさんのおかげと感謝していました。なんでも、酒屋の奉公では、将来がないから、都会に出て、工場に務めた方がいいと、奉公先の主人に話をつけ、田舎から出してくれたそうです。
愛媛から山口県は下関へ、瀬戸内海を渡って、移住した昭和二十二年(1947年)は、どんな時代だったのでしょう。少し調べると、物価が上昇した時代です。戦前米十キロ二円弱が戦後千円を超えています。給料も上がらなければ生活に困窮するはず。戦後の復興に皆が力を合わせるそのうねりの中に祖父がいました。
船旅の三等波の下に寝る
ぎりぎりに生きる手拭首に巻き
満員車今日の労働力を詰め
河野草花(道春)
陸路ではなく、あの時代は船。別府航路の船底はよく揺れたそうです。たまたま就いた製鉄の仕事。その過酷さは、想像を絶するもので、祖父の全身には火傷の傷、包帯を巻いた跡があり、一緒にお風呂に入ると、痛々しく感じていました。本人は、おじいちゃんは手足が無くならなかったから、運がよかったと言っていました。辛抱強い祖父が居ました。
作業服夫へ感謝の泡をたて
そんな祖父を支えてくれる人が・・・・・