はな疲れっていいな。飯田龍太著「鑑賞歳時記」春を読んで
わらび餅、草餅、桜餅
季語の索引を眺めているだけでも面白いものです。
この本は、俳句の季語について、名句の鑑賞を楽しみながらまなべる歳時記。
気が早いですが、春を代表する季語は、花見でしょう。
つぎの次には、花疲れという
聴き慣れない言葉もありました。
花疲れ 遠い記憶に 父の背な 武田 貞一さん
陽春のひと日。花に遊び花に暮れたこころよい疲れを我が家に癒す。
ふと、父に連れられて行った遠いむかしの思い出が、蘇る。
もう疲れてしまって足のはこびももどかしく、先に行く父の背だけが
逞しく見える。振り返った父が、足を止めて、ひょっと抱き上げてくれた。その背のぬくみのなんと逞しかったことか。
その父もこの世を去って、もう何年が経つのだろう。
飯田龍太著「鑑賞歳時記」より引用
飯田龍太さんの手にかかると、
自分の体験なのか、俳句の作者の体験なのか
境目が分からなくなってしまうほど、巧みな解説で心にしみます。
花疲れという季語は、そんなもの憂さ、心地よい疲れをふくみ、
単に花見に疲れたとおもいきや、
疲れにも味わいがありました。
俳句で花といえば、桜を意味するそうです。
飯田さんいわく、
都会の人は、桜がいっせいに咲くと春になったと思うところがあるが、(私は都会人ではないけど、そう思います。)
どこでも見かける染井吉野には初々しさがなく、興味がわかないとのこと。
山村で生まれ育ったことも手伝って、山桜には色々な魅力、多種多様な花期、いろあい、ときに懐かしさ、豊かな自然を感じるといいます。
また、筆者にとって、山桜はどこか俳句に通じるところがあるそうです。
おのずとそれぞれの木が互いにほどよい間を保って生え育っていく(作中より引用)
ブログも俳句と通じるところがあって、顔も知らない読者から支えられていると感じています。
さて、忌日を季語にする時、いつか定かでなければ春にしてきたところをみると、
日本人的美意識には、桜が刷り込まれているようです。
美しいものを詠まずにはいられない、その魅力から逃れられないのは祖父だけではないようです。
花の句まだ続きます。ここまでお読みいただきありがとうございます♪
写真は、近所の方から頂いた息子のおもちゃです。あと義父からのギフト私のウサギです。
生のウサギも飼って頂きました。若干いじけてる顔の時。